“スーパーサ-フェス”とは、最新のテクノロジーを駆使して完成した「夢の生活装置」です。人々が暮らすために必要な全てのものを供給できる究極のインフラです。格子点に設けられたターミナルから万能プラグが伸びて、人々の生活に必要なエネルギーと情報を供給する。この“スーパーサ-フェス”を設営すれば、地球上のあらゆる場所で暮らすことができる。
もちろん、これは皮肉に満ちた架空のプロジェクトです。スーパースタジオはイタリアのクリエーター集団で、都市や建築を通して現代社会の矛盾をえぐり出すラディカルな提案を行ってきました。この“スーパーサ-フェス”もその一つで1970年初めに制作されたプロジェクトです。
1969年にアポロ11号が月面着陸に成功し、世の中がテクノロジーの進歩を謳歌していた頃に考えられたプロジェクトですが、ここで示されたのは、もし最新テクノロジーが全世界を覆いつくせば、最終的には均質で退屈な社会になるだろう、という予言ですね。しかも、その世界には建築も都市も存在していません。ただ生活装置の“スーパーサ-フェス”が全てを覆うばかりです。
スーパースタジオはこれまでの「建築」に対して懐疑的でした。「5つの物語り」と題したプロジェクトでは、建築を「制度に閉じ込められ、新しい提案をしない保守的なものだ」と批判しています。
身体のモジュールとかじゃなく、別のところから形態の変数を持ってこないとダメか
結局この提案自体が不条理だから、不条理なりに空間を作れということか
高さ:標高(決定)
厚み:区画か、路地か、エトセトラ
開口:…一定?さもなくは
Q:壁である理由
日本において敷地境界や路地、鉄道線路などは建築物より長い時間スパンで共有されてきた風景の構成物。
一度消えたこれを再び都市空間を構成するものとして可視化するときに、建築の時間スケールやそれ以下の時間スケールとして可視化するのは違うと感じた。
それらの土木構造物の時間スケールで可視化することで、その場所の狂言回しとして機能するのではと考える。
たしかに壁は建築物の構成要素であるが、建築に内包されない限りこれは建築物ではなく、この場合はこれは建築物に影響を及ぼす敷地条件であり、第二の自然であり、触媒である。